山頂の鉄塔で見た、本物の現場
── 学生が1日密着して感じたリアル
今年の1月のこと。一通のメールが届きました。
差出人は、東京の某大学4年生。件名には「建設現場で活躍する職人の高齢化や人材不足を研究しています。ぜひ、お話を聞いてください」とありました。飛び込みの、何のつながりもない学生からのメール。正直なところ、何かの売り込みではないかと疑いもしました。それでも、とりあえず話だけは聞いてみようと思い、オフィスに呼びました。
現れたのは、ごく普通の、今風の大学生。しかし、冒頭から言葉が違いました。
「日本職人図鑑というコンテンツを作りたいんです。SNSを通じて、職人の魅力や実態を伝えていきたい。今の若者が持つイメージとのギャップを、埋めていきたい」そう言って、準備してきた構想を熱心に語り始めました。話を聞きながら、なるほどと思いました。
彼には動機がありました。単なる就活目的でも、研究のためだけでもない、もっと個人的な動機が。
祖父が、東京の下町で繊維工場を営んでいたそうです。腕の立つ、実直な職人。しかし、後継者はいませんでした。
長年積み上げてきた技術も、人との繋がりも、誰にも引き継がれることなく、静かに幕を閉じたといいます。
それがどれほど惜しいことだったのか、当時の彼にはまだわからなかった。けれど大人になるほどに、その失われたものの大きさが、静かに胸に迫ってきたのだといいます。その記憶が、この学生を突き動かしていました。
日本中で、今この瞬間も起きていること、建設現場の職人たちの高齢化、若い担い手の不足。素晴らしい技術を持った職人が次々と引退していく現実。私たちリライフメンテホールディングスが日々向き合っている社会課題と、一人の大学生の原体験が、そこで重なりました。それなら、本物を見せようと思いました。
私たちには、普通の生活を送っていたら、まず目にすることのない現場があります。
鉄塔の上で、命綱一本で仕事をする職人たちの世界があります。「職人を伝えたい」というなら、言葉で伝えるより、まず彼自身の目で、本物のリアルを見てほしい。
彼のような若者は、その現場で何を感じるのだろうか。それもまた、私の興味でした。そこで、彼を福井県小浜市の送電鉄塔張替え工事の現場に連れていくことにしました。
山の頂上、やさしさとは無縁の場所。そこには人の手によって支えられる鉄塔があります。そして、その小浜の工事が、まさに今、始まろうとしていました。
ここからは、その現場で彼が見て、感じて、書いたコラムです。
Summary
現場へ向かう前に 私の「職人」観が変わるかもしれない一日
「送電線の架け替え現場を見てみませんか」と誘われた際、私の脳裏に広がったのは、ごくありふれた光景でした。ヘルメットに作業服、そして高所。それ以上の輪郭を描くことは、その時の私にはまだできませんでした。しかし、その曖昧なイメージの裏側で、一つの感情が静かに疼いていました。
私たちの日常は誰かの仕事によって維持されています。光が灯り、通信が繋がる。その当たり前のような恩恵を受けながら、それを守り続ける職人の実像を、私たちはほとんど知りません。教育の場でも、華やかなニュースの陰でも、その職人の存在が語られることは稀です。そう思うたび、下町で工場を切り盛りしていた祖父のことを思い出します。あの熟練の技は、なぜ誰にも継がれぬまま潰えてしまったのか。尊い職人の営みが静かに幕を下ろす背景には、「誰の目にも触れず、記録にも残らない」という現実があるのではないか。
だからこそ、自分の目で見てみたいと思いました。本物の現場へ。職人が何に心血を注ぎ、どのような矜持を抱いているのか。私たち若い世代が知る事の無かった大切な何かが、そこにあるような気がしてなりませんでした。
今回、私が足を踏み入れたのは、リライフメンテホールディングスの一翼を担う株式会社陵南の現場です。関西を拠点に電力インフラの要を支える、この道のプロフェッショナル集団です。期待に胸を膨らませる一方で、拭いきれない不安もありました。動画サイトで見ていた荒々しい現場のイメージが頭をよぎり、部外者の私が足手まといにならないだろうか。そんな不安を抱えつつ、私は新幹線に乗り込み、福井の現場を目指しました。
静寂を切り裂く、職人たちの合図
集合は朝8時。場所は福井県・小浜駅から車で15分ほど走った先にある、山のふもとの管理事務所です。到着すると、すでに緊迫した現場の空気が張り詰めていました。
整列した職人たちの表情は真剣そのものでした。朝礼が始まると、全員が腹の底から声を出し、点呼に答えていきます。
そして始まる、安全確認。「ヨシ!」
一人が確認し、指を差します。その言葉を全員が繰り返します。これが念入りに何度も続けられました。日本の現場ならではの文化とも聞きますが、実際に目の前で見ると、その徹底ぶりには思わず背筋が伸びました。この緊張感そのものが、現場の安全を守っているのだと、その場に立って初めて気付かされました。
張り詰めた空気を乗せて山へ
安全確認が終わると、スクランブルに出動する時の隊員のような緊張感と責任感をまとって、全員が素早く動き出しました。機材を手際よく車に積み込み、一斉に出発。その流れるような動きに、チームとしての練度を感じました。段取りがどこかで打ち合わされたわけでもなく、各自が自分の役割を把握して動いています。
ここで気づいたことがありました。朝礼で聞いた役割分担は、単に「誰が何をするか」ではなく、「誰が何を守るか」という責任の連鎖。高所作業に従事する職人たちは、安全帯をつけ、ロープで繋がります。そして、その安全帯とロープを扱う人がいます。地上で指示を出す人がいます。機材を運ぶ人がいます。全ての役割が、山頂にいる職人の命に直結していました。
機材積み込みの際、私が見たのはベテランの職人が全体を見守りながら、必要な機材をリストアップ、若手職人たちが機材を運び、指定の場所に積む、安全管理者が積載状況を確認し、ロープで固定、運転手が積載の完了を待ってから出発。一見すると単純な流れですが、その中には「誰かの間違いで誰かが危険に瀕する」という緊張感が貫かれていました。

空を突き刺す鉄塔と、気さくな職人たち
山に登り始めると、私の緊張は別の理由でピークに達しました。
麓から見えていた山頂の鉄塔は普段小さな鉄塔にしか見えていなかったけど、獣道を車で登っていく中で、木々の中から時折見える鉄塔は段々と存在感を増していきました。そして、実際に山頂で目の前にそびえるのは空を突き刺すような巨大な鉄塔、今にも自分の上に圧し掛かって来そうな恐怖感と、ここでどんな作業が始まるのだろうかという期待感が混ざり合った、妙な感覚を覚えました。
事前に現場の事を少し勉強してきたつもりでしたが、実物を前にすると知識なんてあってないようなものだと思い知らされました。朝礼のあの緊迫した空気があったから、正直、職人に話しかけるのをためらっていました。しかし、思い切って声をかけてみると、とても気さくで話しやすかったです。
「あんな高いところで作業するのは怖くないですか?」と聞くと、「最初はそうやったけど、慣れたらなんともないよ」と笑いながら答えてくれました。その後も鉄塔の高さの話や装備の話を少し嬉しそうに語り、颯爽と鉄塔に登って行きました。その笑顔と、あの朝礼の真剣な顔。同じ人たちなのに、まったく違って見えました。それがとても印象に残っています。

「作業」の裏側にある、職人の真の仕事
電線張り替え工事というのは、既存の電線をロープで支えながら、古い金具を外す、新しい金具を取り付ける、ロープを外し、新しい電線に荷重を掛ける、各箇所の張力を調整し、安全確認をする、一つ一つの作業は、言葉にすると簡潔かもしれません。でも、実際にこの山頂の現場で見ると、重みは全く違います。
高所にいる職人たちは、安全帯でロープに繋がれながら、両手で金具を扱います。足場は不安定。そして風は強いです。一つの金具を外すのに、何度も何度も確認を重ねます。印象的だったのは、地上からの指示との連携です。高所にいる職人が作業をするたびに、地上にいる現場監督が大きな声を出します。
「よし、ロープの張力、確認!」
「了解。ロープ張力、正常」
その言葉のやり取りが、何度も何度も繰り返されました。朝礼での「ヨシ!」と同じ文化です。でも、その中身は全く違う。ここでの「ヨシ」は、誰かの命を守るための確認でした。心の深くに刻まれた場面がありました。作業の合間に、ベテランの職人が若手職人に熱心に作業を教えていました。手の動き、ロープの扱い方、危険な角度の認識。言葉少なく、でも確実に何度も見せてはやり直させる。
これこそ、職人の仕事は「作業をすること」ではなく、「技術と知識を次の世代に繋ぐ」こと。祖父の技術が失われたのは、こういう「繋ぎ」がなくなったからではないか。そう思わせるような場面でした。
見えなかった日常の支柱 鉄塔の足元で気づいたこと
今回の現場は、原子力発電所への送電線を支える鉄塔でした。
案内してもらいながら、その意味を飲み込むのに少し時間がかかりました。電気を作る施設に、また電気を送る。聞いた瞬間は「そういうものなのか」くらいにしか思わなかったのですが、目の前にそびえ立つ鉄塔をもう一度見上げたとき、ハッと気付かされました。
この鉄塔がなければ、発電所は動かせない。発電所が動かなければ、電気は生まれない。電気がなければ、私たちの生活は止まる。電気が生まれない。その連鎖が、頭の中でゆっくりと繋がっていきました。日常、スマホを充電する。部屋の電気をつける。パソコンを開く。そこに電気があることを、私は一度も疑ったことがありませんでした。
「電気がある」のではなく、「電気があり続けるように、誰かが維持している」。その「誰か」が、今目の前で作業している職人たちでした。
山頂の風は思ったより強く、鉄塔はその風の中でも微動だにしませんでした。何十年も前に建てられ、何十年もの間、誰かが点検し、補修し、守り続けてきた構造物。その大きな存在を、間近に感じた気がしました。インフラという言葉は、授業でも就活の文脈でも何度も聞いてきました。
でも、「インフラを支える」という言葉が持つ重みを、今日初めて少しだけ理解できた気がします。鉄塔の足元に立って空を見上げると、電線が何本も空に向かって伸びていました。その先に何があるのかは見えません。でも、その先に確かに誰かの生活があって、この線が途切れた瞬間に人々の生活が止まる。そういうことを考えながら、しばらく鉄塔の近くから動けずにいました。

信頼の連鎖が生む、現場の空気感
現場全体を通じて感じたのは、チームとしての強さでした。
和気あいあいとしている。でも、締まっている。中学・高校のころの部活動を思い出しました。
強いチームって、こういう空気感だったなと。和やかなだけではなく、厳しい言葉も聞こえてきました。現場監督がまるで部活の監督のように。
ただそこには、全員のメンバーを確実に守る厳しさとこの送電線が繋いでいる何万世帯もの生活のための責任が垣間見えました。部活とは決定的に違うことがあります。ここは本物の現場です。安全を守ることが、誰かの命に直結しています。だからこそ、あの朝礼の緊張感があり、指差し確認の徹底があります。チームの和やかさは、その厳しさの上に成り立っているのだと感じました。

福井の山麓から始まった、私の新たな視点
福井からの帰りの新幹線で、なんとなく車窓から外を眺めていました。
今までだったら、きっとただの景色として気にも留めていなかったはずの鉄塔。でも、実際の現場をこの目で見たからなのか、今は気がつくと鉄塔や送電線を目で追っていました。考えてみれば、世の中には数え切れないほどの鉄塔があって、そのひとつひとつに、私が知らなかった「現場」がありました。そこには職人や監督がいて、まさに命懸けで、私たちの生活という「命」を繋ぐインフラを守ってくれている。ただひたすらに、みんなの日常を守るためだけに黙々と仕事に向き合う職人の姿を思い出して、圧倒されたというか、すごく胸が熱くなりました。
私たちが普段、当たり前にスマホを充電したり、部屋の明かりをつけたりして過ごしている毎日。それは、こうした現場のプロフェッショナルたちの、まっすぐな責任感と誇りの上に成り立っていました。

ーーー あとがき 彼が書き残した「景色」を共に見て
「帰りの新幹線で鉄塔を目で追ってしまった」という一文に、この1日の意味が詰まっていると思いました。景色が変わる瞬間を、一緒に見られた気がします。建設業に対するイメージがネガティブななかで、若者が興味を持ってくれ、実際の現場に触れることで、その負のイメージを変えていくヒントがあるのではないか。彼と過ごしたこの1日が、そんなことを思わせてくれました。職人の仕事を自分たちの世代へ伝えようとする彼の挑戦を、私たちもできる限り応援していきたいと思っています。