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「次の事業ステージへの入り口」で見出した
──会社と社員を輝かせるための最適解

地場のトップランナーとして、斜面防災の道を切り拓いてきた株式会社ウヱノ。

社長の上野氏が次代へバトンを繋ぐ決断をしたのは、守りに入ったタイミングではなく、数々の実績を積み上げ、さらなる成長を目前にした「最高の状態」での選択でした。

数ある選択肢の中から、なぜリライフメンテホールディングス(以下、RMH)への参画を決めたのか。
55歳という節目で上野氏が見つめた組織の「新陳代謝」と、社員たちに託す未来への想いを伺いました。

対談者紹介

  • 株式会社ウヱノ
    代表取締役社長

    上野 英剛 氏(以下、上野氏)

アメリカからの帰郷、そして「レッドオーシャン」からの脱却

──26歳で入社された当時、会社は非常に厳しい状況だったと伺いました。

上野氏:

はい、大変でした。当時私は留学先のアメリカで国際貿易関連の仕事に就きたいと考えていました。しかし、父の急病の報により家業や家族か自身の道かの決断に迫られ、半年程悩んだ結果帰国しました。戻った私を待っていたのは、低迷する売上と山積した社内問題でした。父は法面保護に関し地域業界のパイオニアで、人脈やノウハウを持つ偉大な創業者でしたが、経営実務に関しては社員に委ねきりの状態でした。組織としての規律は緩み、いわゆる放漫経営に陥っていたのです。専務取締役に就任してからの2年間は、「会社を畳むのが正解ではないか」と自問自答する日々でした。当時はとにかく家族や社員を路頭に迷わせぬよう、目先の受注を増やすことだけで手一杯だったことを、昨日のことのように覚えています。

──そこから、どのようにして再建への道を切り拓いたのでしょうか?

上野氏:

とにかく頭と体をフル回転させました。昼は役所や元請けへの挨拶回りに奔走し、夜は遅くまで1円を争う積算作業や見積作成に没頭していましたね。特に同級生(現常務取締役)が入社してくれたことは大きな心の支えでした。

──その厳しい経営環境の中で、どのような「次の一手」を打たれたのですか?

上野氏:

下請けのまま価格競争のレッドオーシャンにいては、未来がないことは分かっていました。そこで、着実に実績を積み、「斜面のプロフェッショナル集団」となることに専念しました。その結果、「地質調査業」や「建設コンサルタント」を新たな柱とすることができました。単に図面通りの施工をするのではなく、より良い工法を提案することなどで元請けとしての地位を確立しました。さらに、他社の保有が少ない「特殊機械」を積極的に導入することで、当社ならではのアドバンテージを築くことができたと自負しています。

──具体的にはどのような戦略で差別化を図ったのでしょうか。

上野氏:

競合の多い吹付工事は協力会社に任せ、技術難易度が比較的に高く競合が少ないボーリング関連工事に社員やリソースを集中させました。社員施工で現場ノウハウを蓄積させることにより、他社より高いレベルでの現場運営や受注活動が可能となりました。黙々と、誰よりも早く動くことで「気づいた時には追い越せない差」をつけることを常に意識してきました。

次なる飛躍へのインターバル

──数ある選択肢の中で、なぜRMHへの参画を決断されたのでしょうか。

上野氏:

一言で言えば、「社員が主体性を持ち、誇りを感じられる環境」を求めた結果です。当時、会社はエリアを広げ、事業をさらに拡大する戦略の途上にありました。しかし、人手不足や拠点展開の壁に直面し、M&Aによる成長を模索し始めていたのです。大手企業からもお声掛けは頂いていましたが、懸念したのは「参画後の社員の心情」でした。大手の傘下に入れば安定はするでしょう。しかし、単なる「歯車(ワン・オブ・ゼム)」として扱われれば、仕事のやりがいや野心が失われてしまいます。その点、RMHはまさにこれからグループを共に作り上げていく段階にありました。ここなら、私たちの独自性を出しながら、社員一人ひとりが「必要とされる喜び」を感じていける。それが最大の決め手でした。

──RMHの山本代表やメンバーとの対話で、何を感じられましたか。

上野氏:

「圧倒的な熱意と誠実さ」です。驚いたのは、成約前の段階から非常に細かく、熱のこもった対話ができたことです。他社が表面的な条件提示に留まる中、RMHは将来の課題を未然に防ぎ、共により良い方向へ向かおうとする「具体性」がありました。正直、契約の重圧に「やはり自前で続けた方が楽ではないか」と揺れた瞬間もありました。しかし、RMHの方々の誠実な姿勢に触れるたび、その不安は「ここなら安心してバトンを渡せる」という確信に変わっていきました。

──譲渡にあたって、最も重視されたことは何でしょうか。

上野氏:

「残された社員が、グループインして本当に良かったと思えること」。これに尽きます。大切なのは、誰がその技術を引き継ぎ、どう発展させてくれるか。公共事業という厳しい現場で、誇りを持って働いてきた社員たちが「中身だけ吸収されて切り捨てられる」ようなことは絶対にあってはならない。RMHなら、彼らの技術と想いを脈々と引き継いでくれると信じることができました。

グループシナジーで描く、斜面防災の第二幕

──55歳という若さでのバトンタッチは、業界内でも先駆的な選択に映ります。この時期を一つの区切りとされた理由を教えてください。

上野氏:

若い頃から「早めのバトンタッチ」については公言していました。かつて父が私と同じ頃に大病を患ったことも、その決断を後押しする大きな理由でした。振り返れば、家業を継いでから今日まで、家族との時間を惜しんで事業の成長のみに邁進してきたように感じます。目の前には、さらに5年、10年と続く発展への階段が広がっています。「築き上げた実績と技術の礎(いしずえ)を、最高の形で誰に託すべきか」。自問自答の末に導き出した答えが、RMHへの参画でした。これは、会社と社員の技術をより大きなステージで輝かせるための「攻めの選択」です。志を同じくするグループと共に歩むことで、社員がより主体的に挑戦できる環境が整うと確信しています。次代を切り拓くエネルギーを持ったリーダー、そしてRMHという力強い推進力へバトンを渡せたことを、今、非常に晴れやかな気持ちで受け止めています。

不変の課題である「斜面」をグループの強みに

──貴社の専門性は、グループ全体にどのような付加価値をもたらしますか?

上野氏:

斜面は、重力と風化の影響を受ける以上、いつか必ず崩れる宿命にあります。だからこそ、私たちの仕事は社会に不可欠なのです。「“土”に学び、“土”を熟知する」――。これは先代社長の言葉ですが、グループ内で「困ったときはウヱノに聞け」と言われるような、専門技術の拠り所でありたいと考えています。また、設計から施工までを一貫して手がける私たちのノウハウの共有が、グループ全体を「選ばれるプロフェッショナル集団」へと進化させていくエンジンの1つとなれば幸いです。

──グループインされた今、社員の方々の意識に変化はございましたか。

上野氏:

明らかな変化を感じています。以前は何でも私に確認しないと止まってしまっていた業務が、今では社員たちの手で自律的に動き出しています。特に経理などの管理部門において、グループ内の部会で揉まれた改善策が次々と実行されるようになりました。これまでは私が細かく目を配らなければ進まなかったことも、今では現場が主体となって力強く推進してくれています。

──これから次世代を担う技術者に、何を期待しますか?

上野氏:

これからの時代、ルーティンワークはAIが担っていくでしょう。そこで重要になるのは、「非ルーティンなマネジメント力」と「コミュニケーション力」です。どれだけ高度な技術があっても、人に伝える力がなければ宝の持ち腐れです。技術を論理的に、かつ情熱を持って伝えられる「インテリジェントな技術者」が増える事を期待しています。

経営者が最後に果たすべき「最大の仕事」

──今、事業承継を検討している経営者の方々へメッセージをお願いします。

上野氏:

経営の中心に立つ代表の役割は、極めて重大です。しかし、「自分にしか成し遂げられない」と固執して組織の永続性を考えず、一人の力に依存し続けることは正解ではありません。社員や家族、そして自分自身の在り方を各ステージで見つめ直し、組織の“健康状態”を俯瞰し最適に保ち続けることも、経営者の果たすべき責務です。社員が報われ、会社がさらなる成長を遂げるためには、組織の「新陳代謝」が不可欠です。然るべきタイミングで次代へバトンを繋ぐ。それは「いつかは」という漠然とした願いではなく、「いつ」実行するかという明確な決断です。それこそが、経営者が最後に果たすべき最大の仕事ではないでしょうか。

──貴重なお話をありがとうございました。
今回の対談で何より心に残ったのは、上野氏が語った「攻めの選択」という表現です。
多くの経営者にとって、手塩にかけて育てた会社を手放すことは、一つの「終着点」のように感じられるかもしれません。しかし上野氏にとってそれは、積み上げてきた実績を確認し、さらなる高みを目指すための「戦略的な中継地点」でした。
55歳という、まだ十分に階段を上り続けられる時期にバトンを託す。
その背景には、組織の新陳代謝を最優先するという、社員への深い愛情と経営者としての美学がありました。
「斜面は重力には逆らえないが、会社は新しいエネルギーを得ることで、重力さえも超えて飛躍できる」
一人のリーダーが描き切った「第一幕」は、次代の推進力を得て、さらに鮮やかな「第二幕」へと続いていく。確信に満ちた上野氏の晴れやかな表情が、これからのウヱノ社の、そしてグループの明るい未来を何よりも雄弁に物語っていました。